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前橋城 その2→車橋門跡

前橋城が紹介される際に良く使われるのがこの車橋門の写真。ご覧になったことがある皆さんも多いことと思います。今回初めて実見しましたが何やら石垣の間隔が狭い。いったいどんな構造だったのかと思ったら、昭和39年の区画整理事業によって、間隔が狭められたとのことで納得。しかし、せっかく残った貴重な遺構がこの様な扱いなのは残念ですね。


車橋門1この路地の奥に遺構があります。


車橋門2こんな感じで残されています。


車橋門3現地案内板。


車橋門4標柱。


車橋門5
車橋門6
車橋門7
車橋門8






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前橋城 その1→本丸土塁他

前橋城、壊滅状態のようなイメージがありますが意外に遺構が残っています。現況見る事の出来る遺構は幕末に再興された前橋城の遺構になります。徳川家康が「関東の華」と称した前橋城ですが、利根川による浸食にはいかんともしがたく明和4年(1767)に藩主松平家が川越に移り廃城となり取り壊されます。安政6年の横浜開港にともなう生糸の高騰によって富を築いた前橋領民は前橋城の再興と藩主家の復帰を嘆願します。文久3年(1863)に再興前橋城は着工され、慶応3年(1867)3月に完成し領民の悲願は達成しましたが翌年の明治維新によって再び廃城になりました。現在県庁周辺に再興前橋城の本丸土塁が残されています。規模も大きくしっかりとした土塁です。また、酒井氏時代の天守跡推定地には復元図を描いた案内板が建てられています。


前橋城1
前橋城2
前橋城3
前橋城4県庁を取り囲むように残る再興前橋城の本丸土塁。



前橋城5酒井氏時代の本丸天守跡と推定されている虎姫観音堂。

前橋城6酒井氏時代の本丸天守復元図。

前橋城7前橋城8
前橋城9前橋城土塁の一角に建てられている前橋之碑。ここは砲台の跡とのことで、碑文には前橋城の歴史と前橋城再興に尽力した松平直克(まつだいらなおかつ)の遺徳が記されています。



前橋城10再興前橋城の復元図。







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