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南部家墓所特別公開←青森県三戸郡南部町

南部家墓所特別公開が開催されます。
南部利康霊屋(国重要文化財)に加え、通常は非公開の26代南部信直夫妻の墓石(県重宝)、27代南部利直霊屋(県重宝)がこうj解されます。
◆日時   平成29年10月28日(土) 9:00~16:30
◆場所  史跡聖寿寺館跡案内所(南部町大字小向字正寿寺81-2)
◆拝観料  300円 
★詳細は南部町HPにてご確認下さい。
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

伊達朝宗の墓←福島県伊達郡桑折町

伊達朝宗の墓です。
つつじヶ岡史跡公園駐車場にとめて徒歩で5分ほどのところにあります。
伊達朝宗墓C

伊達朝宗墓A

伊達朝宗墓B

伊達朝宗墓D

不審者を喚起する看板。微妙な位置にあります。伊達朝宗の墓を見学に来たのですが・・・・・。
伊達朝宗墓E

参道。
伊達朝宗墓F

供養塔。
伊達朝宗墓G

伊達朝宗墓H

伊達朝宗墓P

伊達朝宗墓O

伊達朝宗墓I

伊達朝宗墓域から桑折西山城方面を望む。
伊達朝宗墓J

伊達朝宗墓K

伊達朝宗の墓。
伊達朝宗墓L

伊達朝宗墓M

伊達朝宗墓N


テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

南部家墓所特別公開 ←岩手県三戸郡南部町

南部家中興の祖、26代南部信直夫妻の墓石県指定を記念して、普段は非公開の南部家墓所の特別公開が行われます。

★公開墓所
・26代南部信直夫妻の墓石(県重宝) 盛岡藩初代藩主、南部家中興の祖
・27代南部利直霊屋(県重宝) 盛岡藩2代藩主
・南部利康霊屋(国重要文化財) 27代利直公四男

◆日 時 平成27年10月3日(土)15:30~
◆場 所 霊屋駐車場(青森県南部町大字小向字正寿寺85-4)
◆拝観料 300円
★詳細は南部町HPを参照ください。

2009.9.22撮影。
南部家廟所a

南部家廟所b

南部家廟所c

南部家廟所d

南部家廟所e

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

森田大田原家墓所←栃木県那須烏山市(旧南那須町)

那須烏山市森田の大雲山光隆院芳朝寺にある1500石の交代寄合森田大田原氏の墓所です。大田原藩主、大田原晴清の弟増清から始まり明治まで累代しました。森田大田原氏の資料が手元にあまりないので詳細は後日ということで写真での紹介です。



森田大田原氏墓所a芳朝寺本堂。森田城の麓にあります。


森田大田原氏墓所b墓所への案内板。


森田大田原氏墓所c森田大田原氏墓域


森田大田原氏墓所d現地案内板。


森田大田原氏墓所e森田大田原氏墓所f森田大田原氏墓所g個性的な形の墓石が並んでいます。



旧二本松藩主丹羽家累代墓所その1←二本松市大隣寺

福島県二本松市の曹洞宗巨邦山大隣寺はもとは丹羽長重が白河藩主時代に菩提寺として建立したもので、丹羽光重の二本松移封にともなって二本松に移っている。ただ、長重公の霊廟はそのまま白河に残されていて現在白河市指定史跡となっている。(★白河市指定史跡白河藩大名家墓所その1→丹羽長重廟)境内には二本松藩祖となった光重以下歴代の藩主の墓がある。また、陰墓と呼ばれる藩主の生母となった側室の墓もあり当時の身分制のありかたも偲ばれる。平成7年4月に二本松史跡保存会によって修復が行われているようだが墓石の回転や破損が見られ東日本大震災によって被害を受けた模様である。 8月9日(火)訪問。


大隣寺丹羽家墓所1大隣寺境内案内板。


大隣寺丹羽家墓所2大隣寺本堂。


大隣寺丹羽家墓所3
大隣寺丹羽家墓所4
大隣寺丹羽家墓所5現地案内板。


大隣寺丹羽家墓所6二本松9代藩主長富公の墓所。


大隣寺丹羽家墓所7長富公の墓所では墓石の回転・落下及び墓域の裏山の崩落が見られた。


大隣寺丹羽家墓所8
大隣寺丹羽家墓所9内室陰墓。当時の身分制を垣間見ることができる。ただ、こうして菩提寺の同じ墓域に葬られているのであまり薄礼感を感じないのだが・・・。



白河市指定史跡白河藩大名家墓所の復旧の見通し

福島県白河市の指定史跡白河藩大名家墓所の東日本大震災での被害状況をお伝えして来ましたが(白河市指定史跡白河藩大名家墓所の被災の様子)7月20日、白河市から災害復旧の見通しが発表されました。8月より12月までの工期の予定で五輪塔の再設置3基、灯篭の再設置65基が行われる見通しとなりました。ただ、まだまだ余震が続いてますので心配です。地震に強い設置方法と言う物があるのでしょうか。地震や風水害で倒壊するたびに傷・ひび・割れ・欠けなどで傷んでしまう石造物の保存は難しいものですね。


★詳細はこちら
   ↓
公園、都市施設災害復旧


白河藩大名家墓所復旧1
白河藩大名家墓所復旧2
白河藩大名家墓所復旧3
白河藩大名家墓所復旧42011.06.24の白河藩大名家墓所の様子。



芦野氏旧墳墓←栃木県那須郡那須町大字芦野字若林

芦野氏旧墳墓は芦野氏初代資方から18代資泰の墓域と言われていますが、銘文の読めるものは江戸期の寛永以降の墓碑になります。銘文の無い(風化・磨滅?)墓碑はどの位の時代のものなのでしょう。旧墳墓時代は最勝院が菩提寺でしたが、後に建中寺に移っています。今回、菩提寺が変わった理由がわからなかったので継続調査です。ここ旧墳墓も東日本大震災の被害が若干みられました。五輪塔の空輪・風輪が落ちて基壇を壊している物がありました。また、墓石の表面が剥離しているものもありましたが被害は軽微でした。(訪問日2011.07.15)


芦野氏旧墳墓1
芦野氏旧墳墓2
芦野氏旧墳墓3


芦野氏旧墳墓4
芦野氏旧墳墓5旧墳墓墓域の様子。


芦野氏旧墳墓6割れた墓石。刻字が残っている。


芦野氏旧墳墓7小さな墓石が寄せ集められているが、新墳墓同様に子女の墓石か?


芦野氏旧墳墓8空輪・風輪が落ちてしまった五輪塔。


芦野氏旧墳墓9草で分かり難いが、空輪・風輪が落ちた際に基壇の石積みに当たったらしく、石積み石が1つ転げている。


芦野氏旧墳墓10(2009.04.11)2009.04.11に撮影したもので、左端の五輪塔が今回被害を受けた。


芦野氏旧墳墓11これも位牌型と言って良いのだろうか?新墳墓にも同様の墓石が一基見られる。


芦野氏旧墳墓12墓域の様子を別角度から。









芦野氏新墳墓←栃木県那須郡那須町芦野建中寺

芦野氏は那須一族で戦国時代を生き抜き、幕藩体制下の交代寄合旗本として明治をむかえました。戦国時代の居城を陣屋とし城下は奥州道中の芦野宿としても栄えました。芦野氏には新旧二つの墓所があります。1つは初代資方から18代資泰までの墓域と言われる旧墳墓で大字芦野字若林にあります。当時は最勝院が菩提寺でした。その後菩提寺が建中寺に移り19代資俊から27代資原まで葬られているのが新墳墓と呼ばれています。資俊は芦野ので亡くなりこの墓地に埋葬されていますが、20代資親以降は江戸で亡くなり駒込の惣禅寺に葬られておりここにあるのは供養塔ということでしょうか。歴代当主の他にその夫人や子供たちの墓碑もあります。寺内の南側の山腹をテラス状に削平したところに概ね家族ごとにまとまって墓碑が建てられ墓前へは十段ほどの石段が付けられています。現在背後の山への林道に囲まれてしまっていますが領主の墓所としての雰囲気は感じられます。今回の東日本大震災では先に紹介しました大関氏や大田原氏の墓所ほどではありませんがやはり被害はでていました。墓石の回転やずれ、灯篭や子女の墓石の倒壊等々がみられました。ただ今回の大震災以前に落ちてしまったと思われる笠石も見られ、それらがどの墓碑の物かすでにわからなくなっている感もあります。今回落下した物は概ねその墓碑の近くに転がっているので修復の際は間違いが無いようにして欲しいものです。現況、刻字もほとんど風化しておらず判読が可能ですので、この際きちんとした学術調査がされることを期待したいものです。(訪問日 2011.07.15)


芦野氏新墳墓1芦野氏新墳墓。


芦野氏新墳墓2新墳墓案内板。


芦野氏新墳墓3
芦野氏新墳墓4新墳墓墓域。


芦野氏新墳墓5資原他墓碑。



芦野氏新墳墓6
芦野氏新墳墓7
芦野氏新墳墓8
資俊墓碑。ここに埋葬された為か一段と大きな墓石。残念ながら周囲の垣や灯篭が倒壊している。


芦野氏新墳墓9子女の墓碑。早世した子供の達の墓碑は小さい。



芦野氏新墳墓10今回の震災以前に落下したと思われる笠石?苔むしている。



芦野氏新墳墓11建中寺山門。



芦野氏新墳墓12建中寺本堂。












伝那須家墓碑←栃木県大田原市寺宿光厳寺

栃木県大田原市寺宿の光厳寺に那須家のものと伝わる墓碑群がある。那須家は那須与一を生むなど史上有名な一族ですが、応永21年(1414)頃に上下に分裂したと言われ、その後嫡流である上那須家が滅びたために資料の残りが大変に悪く、その出自を含め分からないことの多い一族である。今に伝わる那須文書は下那須家に伝わったもので、分裂後の文書しか伝わらない。上那須家の滅亡とともに家伝の文書類も消滅してしまったようである。光厳寺には「大旦那 加賀守藤原資家」の銘を持つ鐘が残り大変に貴重である。墓碑群は那須家ゆかりと伝わっているが誰のものかは分からないようで今後の調査に期待したい。墓碑群は古い写真を見ると地面に横一列で並んでいたようだが2009年4月6日に訪れた時にはコンクリートの土台にまとめられていた。はたして大震災に耐えてくれたのだろうか?

光厳寺(2009.04.06)1山門。



光厳寺(2009.04.06)2
光厳寺(2009.04.06)3
光厳寺(2009.04.06)4墓碑群。


光厳寺(2009.04.06)5梵鐘案内板。


光厳寺(2009.04.06)6梵鐘。銘文はわからなかった。


光厳寺(2009.04.06)7本堂。








那須家6代の墓←栃木県那須烏山市天性寺

栃木県那須烏山市の天性寺に那須家6代の墓と伝わるものがある。資房・政資・資・資胤・資持・資実の墓碑と推定されているようだが墓域には6基以上の宝篋印塔が並んでいる。延宝3年(1675)に板倉重種が福泉坊から現在地に移転した際に組み合わせを間違えたりしているようである。また、風化によって刻字の判読も難しいようである。大田原の光厳寺にも那須家のものと伝わる墓碑があるが似たような状況で、改易と再興を繰り返した那須家を象徴しているようである。震災後、訪ねていないがここは無事であろうか?


天性寺那須家墓所1本堂。


天性寺那須家墓所2高台にある天性寺から見た烏山の街並み。


天性寺那須家墓所3案内板。


天性寺那須家墓所4
天性寺那須家墓所5墓碑。


天性寺那須家墓所6本堂。


天性寺那須家墓所7鐘楼。以上写真は2010年4月10日撮影。







那須氏墓碑の被害の様子←栃木県大田原市福原玄性寺

栃木県大田原市福原の玄性寺の境内に那須家第28代資礼(すけひろ)によって建てられた那須氏の供養塔があります。残念ながらここも東日本大震災の被害を受けていました。7月6日現在の様子です。


那須氏墓所1玄性寺。


那須氏墓所3案内板。


那須氏墓所2
那須氏墓所4
那須氏墓所5


那須氏墓所6那須資重の供養塔。


那須氏墓所7那須家歴代の合祀碑。


那須氏墓所8那須資景の供養塔。


那須氏墓所9資景妻の供養塔。


那須氏墓所10那須与一・与一の父・那須資興の嫡子の供養塔。














石井沢増次墓地(大関増次の墓)←栃木県大田原市黒羽向町

天文11年(1542)11月20日、大田原資清との戦いに敗れて自刃した大関増次の墓が大田原市立川西小学校の東側の田んぼの中にあります。この戦いの結果、大田原資清は長男の高増を養子として大関家に送り込み、いわば、大関家を乗っ取る事に成功した。当初、榎を植えて墓標としていたようですが、文化9年(1812)に黒羽藩11代藩主大関増業が四面に垣を築くなどの修理を行っている。増次の宝篋印塔とともにこの戦いで戦死した家臣のの五五月女越後増行と大沼弾正泰宗輪塔が建っていす。写真は2009年4月6日に撮影したものです。


大関増次墓地6石井沢大関増次墓地。


大関増次墓地7案内板。


大関増次墓地1大関増次宝篋印塔。


大関増次墓地2大関増業の修復を伝える石碑。


大関増次墓地3
大関増次墓地4五五月女越後増行と大沼弾正泰宗輪塔。


大関増次墓地5
大関増次墓地8
大関増次墓地9






中田原墓所←大田原家初期の墓所(栃木県大田原市中田原)

中田原墓所(栃木県大田原市中田原)は大田原氏の初期の墓所です。大田原氏が大田原城を築いて移る以前の居城と言われる水口城(水口館とも)の東側の田んぼの中にあります。現況は田んぼの中の塚状の高まりの上に五輪塔と思われる石造物の名残がころがっています。胤清、資清、綱清の三代が葬られていると言われていますが現況では確かめるすべもありません。往時はどのような墓所だったのでしょうか?大田原氏は戦国時代を生き抜き幕藩体制下の大名として江戸時代をも生き抜きます。しかしながら確実な同時代資料で確認できるのは天文15年(1546)からで、出自・家臣団・在地支配等々ほとんど詳細がわからない状況です。新発見資料やほとんど手付かずの考古学的調査に期待したいものです。


大田原氏中田原墓所1
大田原氏中田原墓所2
大田原氏中田原墓所3
大田原氏中田原墓所4
大田原氏中田原墓所5
大田原氏中田原墓所6
大田原氏中田原墓所7
2010年12月1日撮影。


黒羽藩大関家墓所被害の様子←実見してきました。

6月23日(木)の記事で黒羽藩主大関家の墓所が東日本大震災によって被害を受けたようだと書きましたが、6月30日(木)に被害状況を確かめてきました。やはり実見しますと酷い状況です。同じ墓域にあっても個々のお墓によって被害状況がかなり違います。倒壊したもの、墓石がずれたり回転したりと様々でした。写真を多めに貼っておきますので参照下さい。



黒羽大関家墓所被害1
黒羽大関家墓所被害2


黒羽大関家墓所被害3第19代大関増公の墓石。若干墓石が動いているようだが軽傷。墓前の灯篭は倒れている。


黒羽大関家墓所被害4第20代増周公の墓石。墓石が若干回転しているがこちらも軽傷。墓前の灯篭は倒れている。



黒羽大関家墓所被害5
黒羽大関家墓所被害6
黒羽藩大関家墓所被害1
黒羽城大関家墓所被害2
黒羽大関家墓所被害9
黒羽大関家墓所被害10ご覧のように惨憺たる状況です。ここは学術的に調査されているのでしょうか?報告書等見かけた事がないのですが。修復の際はぜひ調査も行ってほしいですね。


黒羽大関家墓所被害11本堂。


大田原藩大田原家墓所被害の様子

東日本大震災で被害を受けた大田原家の墓所の6月29日(水)現在の様子をお伝えします。大田原藩大田原家の墓所は栃木県大田原市の太田山光真寺にあります。光真寺は、天文14年(1545)に大田原家第13代資清によって菩提寺として建立されたと伝えられています。大田原家の墓所はもともとは本堂の裏山にあったそうですが、昭和15年に現在地に移され、平成10年には改修工事がおこなわれたそうです。移設以前の墓所の様子については残念ながら手元に資料がなくわかりません。現況、どの位往時の姿を残しているのでしょうか?昭和40年10月1日に大田原市重要文化財に指定されています。このたびの地震により残念ながら大きな被害が出てしまいました。個々の墓によって被害の度合いが違うのですが倒壊し粉々に砕けてしまったものも見受けました。修復するのが大変そうです。



光真寺大田原家墓所12光真寺大門。片側の門扉が外れるなどの被害を受けていました。


光真寺大田原家墓所13本堂前の大きな灯篭が倒壊していました。


光真寺大田原家墓所1墓所の入り口付近。

光真寺大田原家墓所2
光真寺大田原家墓所3墓所の案内板。


光真寺大田原家墓所4
光真寺大田原家墓所5
光真寺大田原家墓所6
光真寺大田原家墓所8
光真寺大田原家墓所9無残な姿の墓域。

光真寺大田原家墓所10
光真寺大田原家墓所11
本堂の裏山に建つ大田原家東霊廟跡の碑。周囲には他家のお墓が建っていて往時をしのぶ物はすでにない。藩政時代にはどのような墓所だったのだろうか?

黒羽藩大関家墓所←栃木県大田原市大雄寺

「黒羽藩主の扇子発見」という新聞記事を読んでいたら、黒羽藩主の墓所が東日本大震災で被害を受けた事をしりました。大関家の墓所は栃木県大田原市黒羽の大雄寺にあります。墓地に数か所の亀裂が入り、墓石の多くが傾いたり倒れたりしたようです。今回見つかった黒羽藩主の扇子は第25代藩主の大関増輔公のものとのことですが、不思議な事に増輔公の墓石は何事も無く無事だったそうです。ただの偶然と言ってしまえばそれまでなのですが・・・。しかし墓石というものは地震に弱いものなのですね。大田原家や福原家の墓所も被害があるようですし、芦野・伊王野・那須等々の墓所も心配です。

●大雄寺のHPに被害の様子が出ています。
   ↓
 ★大雄寺


●「黒羽藩主の扇子発見」の記事はこちら。
   ↓
 ★下野新聞



大関家墓所1合併前旧黒羽町の建てた案内板。合併後に新しくしたのだろうか?


大関家墓所2第25代黒羽藩主大関増輔公の墓(2008.08.09撮影)


大関家墓所318代までは一括で供養されている。(2008.08.09撮影)


大関家墓所4
大関家墓所5墓所の様子(2008.08.09撮影)


大雄寺本堂1大雄寺本堂(2008.08.09撮影)








白河市指定史跡白河藩大名家墓所その3→松平(奥平)清照墓所

白河藩は7家21代の大名によって治められました。丹羽家の大隣寺が置かれたのを始めとして、榊原家の随寶寺、本多家の久松寺、松平(奥平)家の天祥寺、松平(越前)家の考顕寺、松平(久松)家の円明寺、阿部家の正法院が置かれていました。現在は墓所が残るだけでお寺は残っていません。そしてこの地に墓所が築かれたのは3家で合わせて4人となります。
今日紹介する松平(奥平)清照は徳川家康の外孫忠明の長男、忠弘の嫡男として生まれましたが、病弱なために廃嫡となりました。一説には生母の出自が賤しかった為とも言われています。したがって大名として家を嗣ぐことはありませんでした。そのためでしょうか他の3人の墓所に比べて簡素な感じを覚えます。貞享3年(1686)に没してこの地に埋葬されました。

松平清照墓所への参道松平(奥平)清照墓所への参道。


松平清照墓所1
松平清照墓所2
松平清照墓所4
松平清照墓所3
松平清照墓所7
松平直矩・基知の墓碑の高さは3・6mあるようですが、清照の五輪塔は2・7mだそうです。


松平清照墓所5
松平清照墓所6松平(奥平)家の九曜紋。







白河市指定史跡白河藩大名家墓所その2→松平直矩・基知墓所

白河藩大名家墓所の二回目、松平直矩・基知の墓所です。松平家(越前)の時代には考顕寺がありました。現在、東日本大震災で被害を受けてしまい立ち入りが規制されていますが、被災前の修復後の姿をお伝えします。

松平大和守家墓所参道1墓所への参道です。修復前の石段はかなり傷んでいました。修復にともなって発掘調査もされていたようです。どのような知見が得られたのでしょうか興味深い所です。

松平大和守家墓碑銘立派な案内ができました。

松平直知墓所1参道を登ると松平基知の墓所が現れます。

松平直知墓所2立派な五輪塔です。

松平直知墓所3松平直矩の墓所より見た基知の墓所。



松平直矩墓所への参道松平直矩の墓所は基知の墓所より一段上にあります。

松平直矩墓所1
松平直矩墓所2
松平直矩墓所3こちらも立派な五輪塔です。雪で分かり難いかもしれませんが綺麗に修復されました。地震で再び傷んでしまったのは本当に残念です。




白河市指定史跡白河藩大名家墓所被災の様子

白河市指定史跡白河藩大名家墓所の紹介の途中でしたが少し体調を崩しまして、更新できないでいました。そんな中で東日本大震災がおきまして各地に甚大な被害がもたらされました。被災されました方々には心よりお見舞い申し上げます。栃木県北部にある我家では塀が倒壊しました。御近所や親せきの家でも塀の倒壊・瓦屋根の損傷等がでました。三陸から関東沿岸部の津波被害には比べるべくもありませんが栃木県内もかなり被害がでています。文化財、特にお城では栃木県宇都宮市の国指定史跡飛山城・那須烏山市の烏山城で被害がでております。また、福島県白河市の小峰城は本丸を中心に竹の丸・帯曲輪・外郭ラインの石垣に甚大な被害がでています。速報として友人が運営するサイト「城郭情報部」の掲示板に写真を貼っていますのでご覧いただければと思います。体調が良い時にここでも紹介できればと思っています。さて今回は紹介途中だった白河藩大名家墓所の状況です。せっかく修理も終り、案内板が設置され、参道も整備されたのですが、震災で再び被害が出てしまいました。白河市は土砂崩れで多数の方が亡くなられるなど甚大な被害がでており小峰城も含め文化財の復興には時間がかかるのではないでしょうか??一日も早く美しい城下町白河が蘇る事を祈るばかりです。紹介する写真は5月2日(月)に撮影したものです。

白河藩大名墓案内板1白河市指定史跡白河藩大名墓案内板


白河藩大名墓参道1整備された参道


丹羽長重公廟所規制線1丹羽長重公の廟所の規制線


丹羽長重公廟所被災の様子1丹羽長重公廟所の被害の様子を規制線の外側から覗いてみました。


松平大和守家廟所規制線1松平大和守家の墓所への参道に貼られた規制線





白河市指定史跡白河藩大名家墓所その1→丹羽長重廟

補修工事の行われていた福島県白河市の市指定史跡白河藩大名家墓の工事が終了したので2月16日(水)に見学に行って来ました。前日の雪で埋もれていましたが倒壊していた石灯籠や参道などが綺麗に整備されていました。この大名家墓所は白河市円明寺の小南湖の奥の丘陵の中腹にあります。丹羽家の時代には大隣寺が建っていましたが丹羽家の移封にともなって二本松に移ったそうです。丹羽家の後も白河藩主家の墓が作られ現在松平大和守家・奥平松平家の墓所があります。


丹羽長重廟所補修前の様子1丹羽長重廟所補修前の様子2010.05.08撮影


丹羽長重廟所補修前の様子2
丹羽長重廟所補修前の様子2010.05.08撮影


丹羽長重廟所補修後1補修後の様子2011.02.16撮影


丹羽長重廟所補修後22011.02.16撮影


丹羽長重廟所補修後32011.02.16撮影


丹羽長重廟所補修後4 霊廟拝殿2011.02.16撮影


丹羽長重廟所補修後52011.02.16撮影


丹羽長重廟所補修後6
2011.02.16撮影


丹羽長重廟所補修後7丹羽家家紋



雪の小南湖1小南湖2011.02.16撮影



●詳細はこちら
   ↓
★丹羽長重廟


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