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二本松城跡第16・17次発掘調査が始まりました。←福島県二本松市

福島県二本松市の二本松城で発掘調査が始まりました。今回は第16・17次調査で戒石銘碑の北側平場と箕輪門西側の高石垣の調査が行われるようです。7月19日から調査が始まっていて8月中旬迄の予定だそうです。今季の調査ではどのような知見が得られるのか大変楽しみです。時間があったらちょっと覗いてこようかと思います。掲載写真は平成21年7月11日(土)に行われた第14次発掘調査の現説の様子です。伊達家の家紋入りの漆器椀が現説前日に見つかっていて大変な盛り上がりでした。それまで、文献では伊達氏の二本松在城は知られていましたが、遺物は見つかっておらずこの漆器椀が伊達氏在城を裏付ける初めての出土資料となりました。今年も現説開催されると思いますので詳細が分かり次第お知らせします。

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二本松城第16・17次発掘調査


二本松城第14次現説1
二本松城第14次現説2伊達家家紋入り漆器椀出土状況。平成21年(2009)7月11日撮影。




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白河市指定史跡白河藩大名家墓所の復旧の見通し

福島県白河市の指定史跡白河藩大名家墓所の東日本大震災での被害状況をお伝えして来ましたが(白河市指定史跡白河藩大名家墓所の被災の様子)7月20日、白河市から災害復旧の見通しが発表されました。8月より12月までの工期の予定で五輪塔の再設置3基、灯篭の再設置65基が行われる見通しとなりました。ただ、まだまだ余震が続いてますので心配です。地震に強い設置方法と言う物があるのでしょうか。地震や風水害で倒壊するたびに傷・ひび・割れ・欠けなどで傷んでしまう石造物の保存は難しいものですね。


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公園、都市施設災害復旧


白河藩大名家墓所復旧1
白河藩大名家墓所復旧2
白河藩大名家墓所復旧3
白河藩大名家墓所復旧42011.06.24の白河藩大名家墓所の様子。



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芦野氏旧墳墓←栃木県那須郡那須町大字芦野字若林

芦野氏旧墳墓は芦野氏初代資方から18代資泰の墓域と言われていますが、銘文の読めるものは江戸期の寛永以降の墓碑になります。銘文の無い(風化・磨滅?)墓碑はどの位の時代のものなのでしょう。旧墳墓時代は最勝院が菩提寺でしたが、後に建中寺に移っています。今回、菩提寺が変わった理由がわからなかったので継続調査です。ここ旧墳墓も東日本大震災の被害が若干みられました。五輪塔の空輪・風輪が落ちて基壇を壊している物がありました。また、墓石の表面が剥離しているものもありましたが被害は軽微でした。(訪問日2011.07.15)


芦野氏旧墳墓1
芦野氏旧墳墓2
芦野氏旧墳墓3


芦野氏旧墳墓4
芦野氏旧墳墓5旧墳墓墓域の様子。


芦野氏旧墳墓6割れた墓石。刻字が残っている。


芦野氏旧墳墓7小さな墓石が寄せ集められているが、新墳墓同様に子女の墓石か?


芦野氏旧墳墓8空輪・風輪が落ちてしまった五輪塔。


芦野氏旧墳墓9草で分かり難いが、空輪・風輪が落ちた際に基壇の石積みに当たったらしく、石積み石が1つ転げている。


芦野氏旧墳墓10(2009.04.11)2009.04.11に撮影したもので、左端の五輪塔が今回被害を受けた。


芦野氏旧墳墓11これも位牌型と言って良いのだろうか?新墳墓にも同様の墓石が一基見られる。


芦野氏旧墳墓12墓域の様子を別角度から。









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芦野氏新墳墓←栃木県那須郡那須町芦野建中寺

芦野氏は那須一族で戦国時代を生き抜き、幕藩体制下の交代寄合旗本として明治をむかえました。戦国時代の居城を陣屋とし城下は奥州道中の芦野宿としても栄えました。芦野氏には新旧二つの墓所があります。1つは初代資方から18代資泰までの墓域と言われる旧墳墓で大字芦野字若林にあります。当時は最勝院が菩提寺でした。その後菩提寺が建中寺に移り19代資俊から27代資原まで葬られているのが新墳墓と呼ばれています。資俊は芦野ので亡くなりこの墓地に埋葬されていますが、20代資親以降は江戸で亡くなり駒込の惣禅寺に葬られておりここにあるのは供養塔ということでしょうか。歴代当主の他にその夫人や子供たちの墓碑もあります。寺内の南側の山腹をテラス状に削平したところに概ね家族ごとにまとまって墓碑が建てられ墓前へは十段ほどの石段が付けられています。現在背後の山への林道に囲まれてしまっていますが領主の墓所としての雰囲気は感じられます。今回の東日本大震災では先に紹介しました大関氏や大田原氏の墓所ほどではありませんがやはり被害はでていました。墓石の回転やずれ、灯篭や子女の墓石の倒壊等々がみられました。ただ今回の大震災以前に落ちてしまったと思われる笠石も見られ、それらがどの墓碑の物かすでにわからなくなっている感もあります。今回落下した物は概ねその墓碑の近くに転がっているので修復の際は間違いが無いようにして欲しいものです。現況、刻字もほとんど風化しておらず判読が可能ですので、この際きちんとした学術調査がされることを期待したいものです。(訪問日 2011.07.15)


芦野氏新墳墓1芦野氏新墳墓。


芦野氏新墳墓2新墳墓案内板。


芦野氏新墳墓3
芦野氏新墳墓4新墳墓墓域。


芦野氏新墳墓5資原他墓碑。



芦野氏新墳墓6
芦野氏新墳墓7
芦野氏新墳墓8
資俊墓碑。ここに埋葬された為か一段と大きな墓石。残念ながら周囲の垣や灯篭が倒壊している。


芦野氏新墳墓9子女の墓碑。早世した子供の達の墓碑は小さい。



芦野氏新墳墓10今回の震災以前に落下したと思われる笠石?苔むしている。



芦野氏新墳墓11建中寺山門。



芦野氏新墳墓12建中寺本堂。












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伝那須家墓碑←栃木県大田原市寺宿光厳寺

栃木県大田原市寺宿の光厳寺に那須家のものと伝わる墓碑群がある。那須家は那須与一を生むなど史上有名な一族ですが、応永21年(1414)頃に上下に分裂したと言われ、その後嫡流である上那須家が滅びたために資料の残りが大変に悪く、その出自を含め分からないことの多い一族である。今に伝わる那須文書は下那須家に伝わったもので、分裂後の文書しか伝わらない。上那須家の滅亡とともに家伝の文書類も消滅してしまったようである。光厳寺には「大旦那 加賀守藤原資家」の銘を持つ鐘が残り大変に貴重である。墓碑群は那須家ゆかりと伝わっているが誰のものかは分からないようで今後の調査に期待したい。墓碑群は古い写真を見ると地面に横一列で並んでいたようだが2009年4月6日に訪れた時にはコンクリートの土台にまとめられていた。はたして大震災に耐えてくれたのだろうか?

光厳寺(2009.04.06)1山門。



光厳寺(2009.04.06)2
光厳寺(2009.04.06)3
光厳寺(2009.04.06)4墓碑群。


光厳寺(2009.04.06)5梵鐘案内板。


光厳寺(2009.04.06)6梵鐘。銘文はわからなかった。


光厳寺(2009.04.06)7本堂。








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那須家6代の墓←栃木県那須烏山市天性寺

栃木県那須烏山市の天性寺に那須家6代の墓と伝わるものがある。資房・政資・資・資胤・資持・資実の墓碑と推定されているようだが墓域には6基以上の宝篋印塔が並んでいる。延宝3年(1675)に板倉重種が福泉坊から現在地に移転した際に組み合わせを間違えたりしているようである。また、風化によって刻字の判読も難しいようである。大田原の光厳寺にも那須家のものと伝わる墓碑があるが似たような状況で、改易と再興を繰り返した那須家を象徴しているようである。震災後、訪ねていないがここは無事であろうか?


天性寺那須家墓所1本堂。


天性寺那須家墓所2高台にある天性寺から見た烏山の街並み。


天性寺那須家墓所3案内板。


天性寺那須家墓所4
天性寺那須家墓所5墓碑。


天性寺那須家墓所6本堂。


天性寺那須家墓所7鐘楼。以上写真は2010年4月10日撮影。







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那須氏墓碑の被害の様子←栃木県大田原市福原玄性寺

栃木県大田原市福原の玄性寺の境内に那須家第28代資礼(すけひろ)によって建てられた那須氏の供養塔があります。残念ながらここも東日本大震災の被害を受けていました。7月6日現在の様子です。


那須氏墓所1玄性寺。


那須氏墓所3案内板。


那須氏墓所2
那須氏墓所4
那須氏墓所5


那須氏墓所6那須資重の供養塔。


那須氏墓所7那須家歴代の合祀碑。


那須氏墓所8那須資景の供養塔。


那須氏墓所9資景妻の供養塔。


那須氏墓所10那須与一・与一の父・那須資興の嫡子の供養塔。














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石井沢増次墓地(大関増次の墓)←栃木県大田原市黒羽向町

天文11年(1542)11月20日、大田原資清との戦いに敗れて自刃した大関増次の墓が大田原市立川西小学校の東側の田んぼの中にあります。この戦いの結果、大田原資清は長男の高増を養子として大関家に送り込み、いわば、大関家を乗っ取る事に成功した。当初、榎を植えて墓標としていたようですが、文化9年(1812)に黒羽藩11代藩主大関増業が四面に垣を築くなどの修理を行っている。増次の宝篋印塔とともにこの戦いで戦死した家臣のの五五月女越後増行と大沼弾正泰宗輪塔が建っていす。写真は2009年4月6日に撮影したものです。


大関増次墓地6石井沢大関増次墓地。


大関増次墓地7案内板。


大関増次墓地1大関増次宝篋印塔。


大関増次墓地2大関増業の修復を伝える石碑。


大関増次墓地3
大関増次墓地4五五月女越後増行と大沼弾正泰宗輪塔。


大関増次墓地5
大関増次墓地8
大関増次墓地9






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中田原墓所←大田原家初期の墓所(栃木県大田原市中田原)

中田原墓所(栃木県大田原市中田原)は大田原氏の初期の墓所です。大田原氏が大田原城を築いて移る以前の居城と言われる水口城(水口館とも)の東側の田んぼの中にあります。現況は田んぼの中の塚状の高まりの上に五輪塔と思われる石造物の名残がころがっています。胤清、資清、綱清の三代が葬られていると言われていますが現況では確かめるすべもありません。往時はどのような墓所だったのでしょうか?大田原氏は戦国時代を生き抜き幕藩体制下の大名として江戸時代をも生き抜きます。しかしながら確実な同時代資料で確認できるのは天文15年(1546)からで、出自・家臣団・在地支配等々ほとんど詳細がわからない状況です。新発見資料やほとんど手付かずの考古学的調査に期待したいものです。


大田原氏中田原墓所1
大田原氏中田原墓所2
大田原氏中田原墓所3
大田原氏中田原墓所4
大田原氏中田原墓所5
大田原氏中田原墓所6
大田原氏中田原墓所7
2010年12月1日撮影。


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黒羽藩大関家墓所被害の様子←実見してきました。

6月23日(木)の記事で黒羽藩主大関家の墓所が東日本大震災によって被害を受けたようだと書きましたが、6月30日(木)に被害状況を確かめてきました。やはり実見しますと酷い状況です。同じ墓域にあっても個々のお墓によって被害状況がかなり違います。倒壊したもの、墓石がずれたり回転したりと様々でした。写真を多めに貼っておきますので参照下さい。



黒羽大関家墓所被害1
黒羽大関家墓所被害2


黒羽大関家墓所被害3第19代大関増公の墓石。若干墓石が動いているようだが軽傷。墓前の灯篭は倒れている。


黒羽大関家墓所被害4第20代増周公の墓石。墓石が若干回転しているがこちらも軽傷。墓前の灯篭は倒れている。



黒羽大関家墓所被害5
黒羽大関家墓所被害6
黒羽藩大関家墓所被害1
黒羽城大関家墓所被害2
黒羽大関家墓所被害9
黒羽大関家墓所被害10ご覧のように惨憺たる状況です。ここは学術的に調査されているのでしょうか?報告書等見かけた事がないのですが。修復の際はぜひ調査も行ってほしいですね。


黒羽大関家墓所被害11本堂。


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