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小峰城清水門脇西側石垣について←福島県白河市

小峰城の清水門脇西側石垣には積み方の違う部分が見られる。れいによって不鮮明な写真ですが赤線をはさんで積み方に差異があるのがわかると思う。赤線右側は左側に比べて大ぶりの石材を使って横目地の通った積み方をしている。左側は小振りな石材を密に積んでいて横目地は通っていない。弧を描くようにに積んだようにも見える。
小峰城清水門西側石垣面2011年6月24日b小峰城清水門西側石垣面2011年6月24日eこの清水門脇西側石垣は文政十年(1839)に高さ六間(10.6メートル)幅十五間(27メートル)にわたって崩れていて幕府に修理願いが出されている。現在見られる石積みの違いがこの時の修復の様子を伝えているのでしょうか。

ところで以下の写真を見てもらいたい。
小峰城清水門西側石垣面2011年6月24日a.小峰城清水門西側石垣面2011年6月24日c小峰城清水門西側石垣面2011年6月24日d
赤線で囲んだ部分はコンクリートによる補修の跡のようで、江戸期にコンクリートの使用は考えられないので後世の修理の跡と思える。小峰城は昭和50年代以降におこなわれた石垣修復の記録はあるのだが、それ以前の明治・大正から昭和40年代の記録がないようで、現在把握できていない修理があるのかどうなのか検証していく必要があるようです。


★参考文献 『近世大名阿部家の遺宝』(白河市歴史民俗資料館・白河集古苑 1996)

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小峰城三重櫓台北面石垣について←福島県白河市

三日月堀さんから3月17日の記事『小峰城跡見学会(2012.09.09)←福島県白河市』に以下のようなコメントをいただきました。
『三重櫓下の石垣もすこし孕んでいるみたいですね。
地震の影響でしょうか?』
掲載した写真が不鮮明で石垣が孕んでるようにも見えますが、これは櫓台石垣に積み方の違う部分があるために孕んでるように見えるのだと思います。ここには寛永期以前の石積みではと考えられる部分が残っています。

小峰城三重櫓台北面石垣a櫓台の左隅の赤線で囲んだ部分が寛永期以前の可能性もある部分。今一つ不鮮明な写真ですが積み方に違いがあるのがわかると思います。三重櫓復元の際に石垣の天端部分は積み直しが行われたそうです。
 2011年秋に白河歴史民俗資料館で開催された「小峰城絵図の世界」に慶長期の小峰城を描いた絵図が写真パネルで紹介されていました。宮城県図書館蔵の「白河城之図」と鎮國守國神社蔵の「白川城主蒲生氏領町野長門守家中絵図」です。今のところ慶長期の小峰城絵図はこの2点が確認されているだけのようです。「白河城之図」では土塁を基本としながらも現在の清水門、前御門、桜之門周辺に石垣がみられ、本丸北東角には三重櫓と石垣も描かれています。現在残る石垣は慶長期の面影を伝えているのでしょうか。
 寛永4年(1627)丹羽氏入封後の大改修以前の小峰城はまだまだ謎につつまれています。特に白川結城氏時代の小峰城がどのような姿であったのか興味はつきません。

★参考文献 白河市文化財パンフレット 国指定史跡小峰城跡 白河市教育委員会 2011年3月刊。
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小峰城2012年12月15日の様子←福島県白河市

東日本大震災で崩落した石垣の修復が行われている、小峰城の昨年(2012)の12月15日の様子です。


小峰城2012.12.15の様子a小峰城2012.12.15の様子b小峰城2012.12.15の様子d石垣石の撤去がすでに終了している本丸南面。シートがかぶされている。


小峰城2012.12.15の様子c三重櫓。


小峰城2012.12.15の様子e石材の置き場。


小峰城2012.12.15の様子f竹の丸の崩落現場。


小峰城2012.12.15の様子g
平成25年(2013)3月15日までの予定で工事がおこなわれていました。予定通りに石垣石の撤去は終了したのでしょうか?近々様子を見に行こうと思います。
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小峰城跡見学会(2012.09.09)←福島県白河市

昨年(2012)9月9日に行われた小峰城跡見学会の様子です。崩落した本丸南面の石垣石の撤去が完了したのにあわせて見学会が行われました。この日、本丸へは入れませんでしたが帯曲輪が解放され見学することができたので、本丸の石垣崩落の状況を間近に見る事ができました。


小峰城見学会09.09a石垣石が撤去された本丸南面を清水門外より望む。


小峰城見学会09.09b小峰城見学会09.09c担当の方から崩落状況・復元に向けての調査で解明したことなどの説明がありました。本丸が築かれる前の地山の様子やかわらけ・炭化物といったものが見られる事など興味深いお話でした。


小峰城見学会09.09d桜之門枡形。


小峰城見学会09.09e崩壊した月見櫓台を帯曲輪よりみたところ。


小峰城見学会09.09f富士見櫓台。平成元年に積み直しが行われている。


小峰城見学会09.09g本丸西面。雪見櫓台の周辺が崩落している。


小峰城見学会09.09h雪見櫓台周辺の崩落状況を北側より見たところ。


小峰城見学会09.09i小峰城見学会09.09j本丸北面の崩落状況。


小峰城見学会09.09k三重櫓。


小峰城見学会09.09l本丸南面より撤去された石垣石。およそ2700石あったそうで1石ごとに番号をつけ、大きさの計測や加工の特徴を見極めて江戸期のものかそれ以降の修理時のものか今回の修理に再利用できるかなどカルテをつくるそうです。


小峰城見学会09.09m墨書のある石材も二十数石みられるそうです。この石材には「二十弐人」とあります。


小峰城見学会09.09n「二百四十  二十」と墨書されている。


小峰城石垣の修復には五年から七年かかるようですが、今回の様な見学会をおりおり開くようです。
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黒羽城が修復されました←栃木県大田原市

東日本大震災で大きな被害のあった黒羽城が修復されました。(黒羽城被災の過去記事)震災では本丸・中の丸の壁面が崩落したり土塁に亀裂が入っていますが綺麗に修復されています。

黒羽城被災6.30y写真1。2011.6.30撮影
本丸から中の丸にかけての被災状況、土塁に亀裂が入り壁面が崩落している。

黒羽城復興3.06a写真2。2013.3.06撮影
修復後の様子。


黒羽城復興3.06b写真3。2013.3.06撮影
中の丸土塁上より本丸方面を望む。


黒羽城復興3.06c写真4。2013.3.06撮影
中の丸土塁上より本丸方面を望む。


黒羽城復興3.06d写真5。2013.3.06撮影
北城方向から見た中の丸壁面。


黒羽城被災e写真6。2011.6.30撮影
黒羽城被災9.28f写真7。2011.6.30撮影
中の丸との境界付近の本丸壁面崩落状況。
黒羽城被災6.30x写真8。2011。6.30撮影
写真6,7の崩落部分を土塁上から撮影。


黒羽城復興3.06f写真9。2013.3.06撮影
黒羽城復興3.06g写真10。2013.3.06撮影
写真6.7.8部分の修復状況。


黒羽城被災9.28b写真11。2011.9.28撮影
本丸壁面の崩落状況。
黒羽城復興3.06h写真12。2013.3.06撮影
本丸壁面修復状況。


黒羽城被災9.28a写真13。2011.9.28撮影
本丸壁面崩落状況。

黒羽城被災9.28d写真14。2011.9.28撮影
写真13部分の土塁上から覗いた様子。

黒羽城復興3.06x写真15。2013.3.06撮影
本丸壁面の修復の様子。


黒羽城復興3.06i写真16。2013.3.06撮影
黒羽城3.06j写真17。2013.3.06撮影
本丸土塁上からみた修復の様子。


黒羽城復興k
写真18。2013.3.06撮影
本丸展望台も修復されました。


黒羽城復興l写真19。2013.3.06撮影。
本丸内より見た土塁・展望台の修復された様子。

黒羽城の修復された様子を被災時の写真と共にご紹介しました。修復工事にともなうためでしょうか一部伐木もされて城の遺構が見やすくなっている部分もあります。これから桜の時期をむかえます。一度お出掛けになってみてはいかがでしょうか!
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