6月24日の小峰城の様子←福島県白河市
東日本大震災による小峰城の被害の様子は速報として友人の運営する「城郭情報部」掲示板に報告させて頂きました。このブログには一部写真を掲載しただけでしたのでもう少し紹介したいと思います。震災後4回ほど小峰城に行きましたが最新の6月24日の小峰城の様子です。
清水門と崩壊した本丸南面の石垣。昭和57年に大雨によって崩壊したのもこの部分だが、崩れたのは本丸南面石垣の東隅から桜門の間の桜門よりの三分の一ほどだった。しかし、今回はより大規模に東隅から桜門脇まで崩れてしまった。昭和57年当時、崩壊した部分から大溝が見つかっている。詳細に調査されたわではないようだが本丸内を南北方向に走る大溝だったようだ。溝の跡が見えないか小峰城に行くたびに目を凝らしているのだが、残念ながら確認できていません。
竹の丸南面の石垣の崩落状況。櫓台状に張り出した部分の両側が崩れている。
三重櫓と前御門。この部分の石垣は建物が復元される際に積み直しがされている。
小峰城の石垣はよく観察すると積み方・石の大きさ加工の度合いなどに違いが見られます。それが意味する事は何か、時代差であるとか帳場の違いであるとかも探っていく必要があると思います。幕末も近い阿部氏時代の石垣修理に関する資料はあるようですので、丹羽氏築城以降の石垣修理がどのように行われたのか、また丹羽氏以前の慶長期の絵図には三重櫓とその櫓台石垣が描かれています。土塁造りですが、主要な虎口も石垣が積まれていて縄張りも大差がありません。蒲生・上杉・再蒲生期の小峰城がどのような姿をしていたのか城下町の町割りも含めて探っていく事も大事ですね。小峰城につては下記の論文が今後の小峰城研究の方向性も含めてコンパクトにまとめられており参考になります。
★鈴木功(白河市教育委員会)『史跡小峰城跡』第5回北日本近世城郭検討会資料集「神指城跡と東北地方諸城の様相」2011年1月30日所収。
清水門と崩壊した本丸南面の石垣。昭和57年に大雨によって崩壊したのもこの部分だが、崩れたのは本丸南面石垣の東隅から桜門の間の桜門よりの三分の一ほどだった。しかし、今回はより大規模に東隅から桜門脇まで崩れてしまった。昭和57年当時、崩壊した部分から大溝が見つかっている。詳細に調査されたわではないようだが本丸内を南北方向に走る大溝だったようだ。溝の跡が見えないか小峰城に行くたびに目を凝らしているのだが、残念ながら確認できていません。
竹の丸南面の石垣の崩落状況。櫓台状に張り出した部分の両側が崩れている。
三重櫓と前御門。この部分の石垣は建物が復元される際に積み直しがされている。
小峰城の石垣はよく観察すると積み方・石の大きさ加工の度合いなどに違いが見られます。それが意味する事は何か、時代差であるとか帳場の違いであるとかも探っていく必要があると思います。幕末も近い阿部氏時代の石垣修理に関する資料はあるようですので、丹羽氏築城以降の石垣修理がどのように行われたのか、また丹羽氏以前の慶長期の絵図には三重櫓とその櫓台石垣が描かれています。土塁造りですが、主要な虎口も石垣が積まれていて縄張りも大差がありません。蒲生・上杉・再蒲生期の小峰城がどのような姿をしていたのか城下町の町割りも含めて探っていく事も大事ですね。小峰城につては下記の論文が今後の小峰城研究の方向性も含めてコンパクトにまとめられており参考になります。
★鈴木功(白河市教育委員会)『史跡小峰城跡』第5回北日本近世城郭検討会資料集「神指城跡と東北地方諸城の様相」2011年1月30日所収。
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